大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和46年(う)940号 判決

被告人 松田正 間谷昭治

主文

原判決を破棄する。

被告人松田正を懲役四月に被告人間谷昭治を同二月に処する。

ただしこの裁判確定の日から一年間それぞれ右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用のうち、証人阪克美、同中場力一郎、同大谷隆に支給したもの及び当審における訴訟費用のうち証人伊東俊夫に支給したものは、被告人松田正の負担とし、原審における訴訟費用のうち、証人越水守、同石垣利夫、同村上六三、同中村治、同児玉辰雄、同崎山義行に支給したもの及び当審における訴訟費用のうち、証人石垣利夫、同中村治に支給したものは、被告人間谷昭治の負担とし、原審における訴訟費用のうち、証人山路昭、同北浦治男、同牛河春雄、同高崎盛登、同山口芳次、同皆川楠太郎、同野村平爾、同佐藤昭夫、同中川新一、同青木宗也に支給したもの及び当審における訴訟費用のうち、証人高崎盛登、同北浦治男、同富塚三夫、同籾井常喜に支給したものは、これを二分しそれぞれその一を、被告人両名の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検事斎藤周逸が提出した検事村上流光作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人小林直人他四名連名作成の答弁書記載のとおりであるので、これらを引用する。

論旨は、原判決が、被告人らの行なつた本件ピケツテイングは乗務員に対する説得活動であり社会に与えた影響もさほど大きなものではなかつたとして被告人らの所為が正当な争議行為であるとしたのは、事実を誤認し法律の解釈適用を誤つたものである、と主張するものである。

(一)  そこで、まず本件争議の経過並びにその際の被告人らの行動について検討すると、記録によれば、

(1)  本件争議の行なわれた昭和四一年当時、被告人松田は、国鉄労働組合(以下国労という。)南近畿地方本部の副執行委員長であり、被告人間谷は、同地方本部の執行委員であつたこと、

(2)  国労では、昭和四〇年一一月頃、国鉄労働者の賃金を総額八、七〇〇円引き上げられたい旨の要求を国鉄当局に提示して交渉を重ねていたが、思わしい進展がなく、翌四一年二月一日頃、国労の第七三回中央委員会で同年度の春闘は自主参加方式で同盟罷業を行なうことを決議し、同年四月四日開催の第七四回臨時中央委員会で、同年四月下旬自主参加方式による半日ストを行なうことを決定し、指令第二四号により、「昭和四一年四月二六日及び三〇日別に指示した地方本部は指定された地域において半日ストライキを決行せよ」と各地方本部に指示したこと、

(3)  右の指令によりストを指示された南近畿地方本部では、四月二〇日頃開かれた闘争委員会において、同月二六日阪和線の鳳電車区を闘争拠点として始発から四時間乗務員を中心として半日スト(以下本件ストライキと略称する。)を行なうことなどを決定し、同電車区の本区(鳳)、支区(東和歌山)及び派出所(天王寺)等に対する派遣闘争委員の人選をし、東和歌山支区には、被告人松田を最高責任者として被告人間谷及び同地本の執行委員である山路昭を派遣することを決め、現地での具体的行動については、派遣闘争委員の判断に任せることとしたこと、

(4)  東和歌山支区の最高責任者となつた被告人松田は、翌二一日頃和歌山市に赴き、市内の今西旅館において、中央執行委員の木村友秋を加えて地本和歌山支部委員長北浦治男、地本特別執行委員兼同支部書記長牛河春雄及び前記山路らと本件ストライキの進め方などについて打ち合わせをし、

(イ)東和歌山電車支区の乗務員を自主参加方式で本件ストライキに参加させること、(ロ)電車支区以外の組合員に対しても右乗務員を激励するため動員すること、(ハ)当局の力を分散させるため東和歌山駅(現在の和歌山駅)だけではなく、和歌山駅第一信号扱所(以下「一信」と略称する)でも動員態勢をとること、などを決定したが、その席上、特に東和歌山駅午前四時二分発九二一夜行列車(名古屋発天王寺行)をどのように扱うべきかについて論議が集中し、木村中央執行委員は、この夜行列車も本件ストライキの対象とすべきであると主張したのに対し、本部指令が始発から四時間ということであるので右夜行列車が始発に該当するかいなかに疑問もあり、被告人松田は、夜行列車をストライキの対象にすれば乗客対策も講ずる必要があつて影響が大きいうえ警察の介入も予想されるので簡単には決められないと消極的な意見を述べ、結論を得なかつたこと、

(5)  被告人両名及び前記山路、北浦、牛河の五名は、同月二四日夜同市内の木村屋旅館に集まり乗務員獲得の方法や各自の分担について最終的な打ち合わせを行ない、(イ)被告人松田と北浦は、東和歌山駅構内にある電車支区事務所において、勤務前後の乗務員の説得にあたり、被告人間谷と山路、牛河は、ホームにおいて乗務終了後の乗務員の説得にあたること、(ロ)国鉄当局のストライキへの不当介入を牽制しかつ当局の勢力を分散させるために、被告人間谷は前記「一信」に行き、そこの責任者として和歌山機関区分会並びに同電気区分会所属の組合員を指揮することなど、本件ストライキの具体的戦術を決定したこと、

翌二五日被告人松田は、北浦とともに早朝から東和歌山駅構内の電車支区の運転助役室(支区長室ともいう)に詰め、乗務員が、乗務の前後に当直助役等の点呼を受けに来る際、当局側に説得されないように当局側の牽制にあたると同時に自らも説得をし、一方被告人間谷は、山路、牛河らとともに東和歌山駅ホーム等において、乗務を終えて戻つて来る乗務員の説得に奔走し、その結果翌二六日午前一時頃までに、鳳電車区東和歌山支区所属の組合員五五名中運転士兼助役である市川秀幸、同刀谷大二及び同堀幸次を除く五二名を前記木村屋旅館に収容し、これらを組合の統制下に置くことに成功したこと。

前記のとおり二五日の早朝から支区長室に詰めていた被告人松田及び北浦は、当日勤務の右市川兼務助役が、午前一一時頃同室からいなくなつていることに気づき、直ちに支区長の高崎盛登に右市川の所在を尋ねたところ、同人はあいまいな返答をするだけで要領を得ないため、さらに追及した結果、右高崎は市川を鳳電車区に業務連絡に行かせた旨答え、一旦は午後五時までに東和歌山駅に帰らせることを約束したが、午後五時になつても市川が帰らないので、被告人松田は、市川の行方不明を知つた他の一般組合員とともにさらに同支区長に抗議し、天王寺鉄道管理局の加藤労働係長を呼んで、市川の行方及びその間の経緯を二六日午前零時までに明らかにするように要求し、二五日午後一一時半頃一旦その交渉を打ち切つたこと。

(6)  (九二一夜行列車関係)翌二六日午前二時頃、かねての動員指令に基づき、国労南近畿地方本部和歌山支部所属の組合員約七〇〇名は、阪和線のホームの北方に位置する電車支区前に集まつていたが、被告人松田は、これら組合員を集めて集会を開き、中央での賃上げ交渉の情勢を報告し、自分が責任者だからこれからの行動は自分の指揮に従つてもらいたいなどと挨拶し、国会議員の激励の挨拶を受けるなどしていたが、その間の午前二時半頃、被告人松田は、北浦、牛河、山路とともに分会長らを検修室に集めて分会長会議を開き、「市川問題の経緯からみて九二一列車に市川が乗る可能性が強い、従つて右列車をストライキの対象にしてこれから行動を起こすからその際は組合役員の指示に従い分会毎に統制のとれた行動をしてもらいたい」旨指示したこと。

午前三時半頃、被告人松田及び北浦、山路、牛河は、支区前にいた組合員らに「紀勢線の方に移動してくれ」と携帯マイクなどで呼びかけて前記組合員七〇〇名位を紀勢一番線の方へ移動させ、六七号ポイント附近を先頭にして同所より北方へ四、五列縦隊で九二一列車の進行線である紀勢下り線路上に南を向いて立ち並ばせたこと。

国鉄当局は放送で退去要求をするとともに、当局の現地対策本部長であった和歌山駅駐在運輸長中場力一郎は、口頭で右ピケ隊の先頭附近にいた被告人松田に線路外への退去を要求し、さらに、東和歌山駅長田中繁雄も、被告人松田に退去申入書を手渡し線路外への退去を命じたが、被告人松田をはじめ組合員らはこれに従わなかつたこと。

午前三時五六分、九二一列車は定刻に東和歌山駅紀勢一番線に到着し機関車の交換をすることになつたが、被告人松田はピケ隊に対し「着機は通せ」と指示して着機であるデイゼル機関車が六七号ポイントを通つて北方に向かうのを許したこと。

ところが、午前四時二分頃、阪克美が運転し発機となる電気機関車が、紀勢二番線を発進して紀勢一番線に待機中の九二一列車に向かおうとすると、再び多数の組合員が六七号ポイント附近の線路上に立ち入つてその進行を阻止したので、当局側は管理職員及び公安職員約五〇名位で同ポイント附近のピケ隊を北方に排除し、漸くポイントの切り替えをして発機を前記列車に連結し、同列車は、定刻より一七分遅れて午前四時一九分紀勢一番線を発車したこと。

しかし同列車は、六七号ポイント附近で再びピケ隊に阻止されて停止するのやむなきにいたり、当局側は繰り返し警告文を掲示するなどして退去を要求したが聞き入れられないので、前記公安職員らによつてピケ隊の押し出しにかかつたこと。

この頃にいたつて被告人松田は、時間の経過などその場の情勢からみてそろそろ退去の時期であると判断し、手で合図をしたり口頭で指示するなどしてピケ隊を退去させ、九二一列車の進路を開けたので、同列車は漸く進行可能となり、定刻より約三四分遅延して隣りの紀伊中之島駅を通過したこと。

同列車には当時約一三五名の乗客が乗つていたこと。

(7)  (二〇二電車関係)その後被告人松田は支区前に引き返し、同支区北隣りにある検修室に北浦、山路、牛河を集めて善後策を相談していたところ、組合員が「始発電車が出るといつて皆騒いでいるがどうするんだ」と言つて来たため、被告人松田らは、右始発電車(二〇二電車、午前五時東和歌山駅発車予定)に対して再度行動を起こすことを決定し、支区前に集結していた組合員約四〇〇名に対し「阪和線の方へ移動してくれ」と指示し、午前四時五〇分頃、阪和線ホームの北端より北方約五〇メートル程離れた五九号(イ)ポイント附近を先頭にして同所より北方へ約四列縦隊で二〇二電車の進行線である阪和線上に南を向いて立ち並ばせたこと。

国鉄当局は、現地対策本部長であった機関車課長大塚重信及び労働係長加藤義夫らが直ちに右ピケ隊の先頭附近にいた被告人松田らに退去を要求したが、同被告人をはじめ組合員らはこれを聞き入れなかつたこと。

二〇二電車は、寺本光雄が運転し午前五時定刻に阪和二番線を発車したが、進路前方の線路上にピケ隊がいたため、前記五九号(イ)ポイントのやや南方よりにある六一号ポイント上で停止するのやむなきにいたつたこと、当局側は、再三携帯マイクで警告したり警告文を掲示するなどして退去を要求したうえ、当局の管理職員及び公安職員約五〇名でピケ隊の先頭部分を押して排除しようとしたが、ピケ隊は線路上で渦巻デモをするなどして抵抗し、その頃、当局側の要請により現場近くに出動していた制服の警察官約一五〇名がピケ隊の西側に並んで実力行使の態勢をとるにいたつたので、被告人松田は、退去の時期だと判断してピケ隊に退去を指示し線路外に退去させたこと、

このため、二〇二電車は、隣りの紀伊中之島駅に定刻より約二九分遅れて到着したこと、

右電車には、東和歌山駅発車当時約一〇名の乗客が乗つていたこと。

(8)  (「一信」関係―六一五三列車関係)「一信」は、前記のとおり和歌山駅第一信号扱所のことであって、東和歌山駅(現在の和歌山駅)の北東約一、一五〇メートル紀伊中之島駅の東方約五五〇メートルのところに位置し、和歌山機関区が出区する機関車が和歌山駅(現在の紀和駅)方面と東和歌山駅方面に分かれる分岐点になつており、ここの通行が閉ざされると出区及び入区の機関車全部が阻止されることになる重要な個所であり、それだからこそ前述のとおり被告人らは当局の力を分散させ牽制するために、同所を重要拠点として決定したものであるが、被告人間谷は、二六日午前一時半頃、「一信」に赴き、かねての動員指令により「一信」の安全側線の北側の空地に集結していた国労南近畿地方本部和歌山支部所属の組合員約三〇〇名を集めて午前二時頃から集会を開き、国会議員の激励の挨拶を受けた後自らも「当局の力を分散させるための陽動作戦としてここに集まつて貰つた、私が責任者だからこれからの行動は私の指示に従つて貰いたい」などと挨拶し、右組合員らをその場に待機させていたこと。

午前三時頃、被告人間谷は、東和歌山駅の被告人松田に電話をかけて指示を求めたところ、被告人松田は、「東和歌山駅では、これから抗議行動を起こし動員者を動かすことになるので、和歌山機関区の方から機関車が東和歌山駅の方に入つて来ると危険だから「一信」で出区の機関車を説得してくれ、説得するためには多少線路に入つて列車をとめるようなことがあつてもやむを得ないであろう」と指示したので、午前三時半頃、待機していた右組合員らに対し、「入区については乗務員を激励して受け入れるが、出区については乗務員を説得するから自分の指示どおりに動いて貰いたい」旨指示し、午前三時三五分、「一信」前の出発所定位置に停止していた午前三時三八分「一信」発車予定の東和歌山行六一五三列車(単機)の前方約三〇メートル附近を先頭にして出区線の線路内に右組合員らを誘導したこと、

右列車には、和歌山機関区勤務の機関士崎山義行が乗務し、午前三時三八分の定刻に発車しようとして汽笛を数声鳴らしたが、前方のピケ隊が退去しないため発車できなかつたこと。

当局側は、「一信」の拡声器を通じてピケ隊に退去を要求するとともに、和歌山駅首席助役越水守及び同駅輸送総轄助役石垣利夫が、右ピケ隊の先頭附近にいた被告人間谷に退去申入れ書を読み上げて退去を求めたが、被告人間谷をはじめ組合員はこれに応ぜず、午前四時三五分頃から当局側は、五名の公安職員によつて実力排除を始めたが、少人数のためその効果がなく、午前四時四〇分頃、国鉄当局の要請により出動していた制服の警察官約一〇〇名がピケ隊の南側に整列して排除に着手したこと。

この時にいたつて被告人間谷は、退去の時期だと判断してピケ隊に退去を指示したため、午前五時前漸く線路が開通し、六一五三列車は、約一時間二〇分遅れて同所を発車したこと。

以上の各事実が認められる。

(一)  以上認定の事実によれば、被告人松田らによる九二一列車、二〇二電車の運転妨害及び被告人間谷らによる六一五三列車の運転妨害の各所為は、いずれも威力業務妨害罪の構成要件に該たることは明らかである。

これに対し、原判決は、被告人らによる右の各所為は、説得活動のためのピケツテイングによるものであり、それによる社会的影響もさほど大きなものではなかつたとして正当な争議行為であるとしているので、その当否について検討するに、争議行為に際して行なわれた犯罪構成要件該当行為について、刑法上の違法性阻却事由の有無を判断するにあたつては、その行為が争議行為に際して行なわれたものであるという事実をも含めて、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かが判定されなければならない(最高裁昭和四三年(あ)第八三七号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻三号四一八頁―いわゆる久留米駅事件判決―参照)ところであるが、本件ピケツテイングの正当性に関する判断に先だち、まず、本件ストライキの適法性について検討すると、公共企業体等労働関係法(以下公労法という。)一七条は、国鉄職員に対しても一切の争議行為を禁止し(公労法一七条が憲法二八条に違反しないことは、すでに最高裁昭和二六年(あ)一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決・刑集九巻八号一一八九頁、最高裁昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁の明らかにするところであり、当裁判所はこれと同意見である。)公労法一八条は、これに違反した職員に対しては解雇をもつてのぞむことを規定しているのであるから、国労が企てた本件ストライキが違法なものであることは明らかであり、組合がストライキの決議をしたとしても、組合員に対してストライキへの参加を求めることは組合の統制権を理由としても違法であることに変りはなく、組合員は組合の要請に従つてストライキに参加すべき義務はなく、就労の意思をもつて出務している場合においては、その受忍義務のないことは一層明白であって、まして組合は、非組合員に対してストライキへの参加を強制すべき権能を有するものではない。もつとも、これは民事上違法であるということであって、そのために直ちにそれが刑法上可罰的であるということではなく、ストライキに際して行なわれた各種の争議行為の刑法上の可罰性は、前記のごとき判断基準のもとに、諸般の事情を考慮して慎重な検討を要するところであって、本件ピケツテイングの正当性についても同じである。

そこで、本件ピケツテイングの目的について検討するに、被告人らは公判廷においては、乗務員の説得のためである旨供述するのであるが、検察官が論旨において主張するごとく、被告人松田自身検察官調書において、九二一列車について、「本件ストに先だち、夜行列車をストの対象にするか否かを議論した時、木村中執は『組合の力量を発揮して抵抗態勢をとるべきだ。動員者によつて列車阻止の態勢をとれ。』という激しい議論を展開した。」(昭和四一年五月二〇日付供述調書第二項)、「私としては、夜行(九二一列車)を止めるか止めないかは情勢を見ながらきめていこうと思つた。できれば四分六分か、七分三分で夜行には手をつけたくないという気持が強かつた。」(昭和四一年六月二日付供述調書第三項)、「同日(四月二五日)午後九時三〇分ごろ、組合員らが、市川の行方不明を知るところとなり、支区長をどなりつけるような事態になり、私は、市川問題が表に出た以上これはえらいことになつたと思案にくれた。ええかげんな始末をつけたのでは組合員が納得せず、市川問題に対する回答も得られないようでは九二一列車の阻止は避けられないと思つて最後の腹をきめた。発機とか列車の運行をある時間止めさえすれば、私達の目的は達せられるのです。」(昭和四一年五月二〇日付供述調書第五項、第七項、同月二二日付供述調書第七項、第八項)旨供述し、二〇二電車についても、「実のところ私は始発電車(二〇二電車)のことはすつかり忘れていた。支区検修室に私、山路、北浦、牛河がいたところ、組合員が『始発電車が出るがどうするんか。』『発車までに十分もないといつて皆が騒いでいる。』等と言つていた。前に組合員から九二一列車を比較的簡単に通したことで『幹部は列車を通すことばかり考えている。』等の不満をぶちまけられていたので、このまま押えてしまつたら不平をもつている者が規律を乱し、はね上つたことをやるかも知れん、組織的な統制のとれた行動をとらせるためには列車阻止もやむを得ないと判断した。」(昭和四一年五月二〇日付供述調書第九項、同年六月二日付供述調書第七項)、「警察が実力行使をするような態勢をみせてくれればその際に収拾すれば割合簡単に収拾できると思つた。」(昭和四一年六月二日付供述調書第七項)旨供述し、山路、北浦、牛河が検察官調書においてそれぞれそれに沿う供述をしていること、また、被告人間谷が検察官調書において、「このまま発車を遅らせては大変なことになるという気がした。その反面、組合員を線路に入れておきながら何もしないで退去させるということは、後で批判を受ける気がした。特に議員団が威勢よく検察官に抗議しているし、地評の川口事務局長が部外団体をつれて来ている前で簡単に退去してしまつては、いかにも私が弱腰だということで批判されるだろうという気がした。退去を指示すれば弱腰だといつて批判され、このまま阻止を続ければ大問題になりかねないという気持で、私はどうしてよいか本当に困つた。その後いよいよ警察官が実力行使にはいりかけたので退去の指示をした。」(昭和四一年六月八日付供述調書第七項、第九項)旨述べていること、阪克美の原審証言、寺本光雄及び崎山義行の警察官及び検察官に対する各供述調書など関係証拠によれば、被告人らはもとより組合員の誰もが、列車或いは電車の乗務員に対し、本件ストライキへの参加を求め乗務放棄すべきことを求めるいわゆる説得活動を行なつた形跡は認められず(記録を調べても説得活動を不可能にするような事情は認められない)さらに被告人らは、その列車或いは電車に果して誰が乗務しているか、それが組合員であるか非組合員であるかを確認するための努力すらしていないことなどに照らせば、本件ピケツテイングが、被告人らが公判廷において供述するごとく、説得のためのものであると認めるには強い疑問が存するものといわなければならない。

仮にこれが原判決が認定するごとく態度による説得活動であるとみるとしても、本件において被告人ら及び組合員らの態度からみられるものは、単に、被告人ら組合員の意思を表明して乗務員に翻意を求め同調を促すというものとは異なり、あくまでも被告人らの意思に従うことを求めてする実力行動であって、相手方の意思の自由を認める平和的説得とは異なるものといわなければならない。

まして、九二一列車に乗務していた阪克美は、鳳電車区東和歌山支区の助役で本件ストライキに備えて電気機関士兼務を命ぜられていたものであり、二〇二電車に乗務していた寺本光雄は、鳳電車区東和歌山支区の技術助役で同じく本件ストライキ対策として運転士兼務を命ぜられていたもので、いずれも非組合員であつて組合の持つ統制権の及ぶ範囲ではなく、また、六一五三列車に乗務していた崎山義行は、国労組合員ではあつたが同人は和歌山機関区に所属する機関士であつて本件ストライキの対象にはなつておらず組合からスト指令も受けていなかつた者であるから、これらの者に対し前記のごとき態度で乗務放棄を求めることが許される筋合のものではない。

被告人らの指揮する本件ピケツテイングによつて、九二一列車は三四分、二〇二電車は二九分、六一五三列車は一時間二〇分の遅延をきたしたのであるが、自動車などによる代替輸送機関が発達してきたとはいえ、国鉄の列車、電車は、今日においても国民生活上必要欠くことができない重要な輸送機関であることには変りはなく、特に九二一列車及び二〇二電車にはそれぞれの用務をもつた乗客が現に乗車して旅行中であつたのであり、また「一信」は前記のとおり和歌山機関区の喉元ともいうべき重要な拠点であつて、これらを被告人らの本件ピケツテイングによつて通行不能にしたことは軽視することができず、さらに、記録によれば、単にこれらの列車、電車にとどまらず他の多くの列車等に運転上の支障を及ぼしたものであることが明らかである。

労働争議に際ししばしば行なわれるピケツテイングが、直ちに刑法上可罰的であるとされるわけではなく、その態様、対象などによつて差異があるとはいえ、ある程度の範囲において刑事上の免責が認められることは、従来の多くの判例によつて明らかにされているところであり、そのことは、争議行為が禁止されている労働組合においても同様であるが、これらの組合においては、争議行為が禁止されていることのために、違法性阻却が認められる範囲も、争議行為が禁ぜられていない民間企業の場合に比較して自ずから限定されたものとなることもやむを得ないものといわなければならないところ、本件におけるピケツテイングが、前記のごとく非組合員あるいはもともとスト対象にもなつていなかつた者に対するもので、前述のような相手方の意思の自由を認めないような態度で相当の時間列車あるいは電車の通行を阻止し国民生活上重大な影響を及ぼしたものであることなど諸般の事情を考慮すると、それが労働争議に際して行なわれたものであるという事実を含めて検討しても、到底それが法秩序全体の見地から許容されるものということはできず、刑法上の違法阻却を認める余地はない。

被告人ら及び弁護人らは、二五日来、国鉄当局には、国労組合員であり兼務助役である市川秀幸の行方をかくすなど不誠実な態度があつたので本件所為に及んだものであつて正当なものであると主張するが、記録によれば、市川秀幸は、国鉄当局において、本件ストライキ対策の一つとしてストライキに際しての代替要員確保のため組合側にとられないため鳳電車区に出張させていたものであることが認められるのであるが、前述のとおり本件ストライキそのものが違法なものである以上、同人が国労組合員であるとしても、これに対し国鉄当局が業務命令を発してストライキの際の乗務を命じその身柄を確保する手段を講ずることが許されないわけがないから、そのために被告人らの本件所為が正当なものとなるわけのものではない。

また弁護人らは、三友炭坑事件あるいは札幌市電事件についての最高裁判例をひき、本件は違法性を阻却されるべきであると主張するが、前者は争議行為が禁じられていない民間企業に関するものであり、後者は組合の統制権の及ぶ脱落組合員に対するものであることなどの点において、本件とは大きく事情を異にするものであつて、到底同一に論ずるわけにはいかない。

以上のとおり、被告人らによる本件各所為は、威力業務妨害罪にあたり違法性を阻却するものではないので、これに反する原判決は事実を誤認し法律の解釈適用を誤つたものといわなければならない。論旨は理由がある。

よつて刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人松田は、国労南近畿地方本部副執行委員長、被告人間谷は、同地方本部執行委員であるが、国労が昭和四一年四月二六日に実施した闘争に際し、列車の運行を阻止しようと企て、

(一)  被告人松田は、

(1)  国労組合員約七〇〇名と共謀のうえ、同日午前三時五〇分頃から和歌山市友田町五丁目一七番地所在の東和歌山駅(現在和歌山駅と改称されている。)六七号ポイント附近の紀勢一番線上に多数で立ち並び、同日午前四時すぎごろ、鳳電車区東和歌山支区勤務運転士阪克美が、同駅紀勢二番線に留置されていた電気機関車を運転し、紀勢一番線に到着していた同駅午前四時二分発車予定の名古屋発天王寺行九二一列車に連結しようとして前進をはじめるや、その前方線路上に多数で立ち塞がり、次いで同日午前四時一九分頃、同機関士がようやく連結編成を終えて同列車を運転して同駅を発車しようとした際にも、引き続きその前方線路上に立ち塞がつて、同日午前四時三六分頃まで同列車の進行を阻止し、

(2)  国労組合員約四〇〇名と共謀のうえ、同日午前五時前頃、同駅五九号の(イ)ポイントから北方の阪和線軌道内に多数で立ち並び、鳳電車区東和歌山支区勤務運転士寺本光雄が同駅午前五時発車予定の天王寺行二〇二電車を運転して定刻に同駅を発車した際にも、その進路前方線路上に多数で立ち塞がり、同日午前五時二九分頃まで右電車の進行を阻止し、

(二)  被告人間谷は、国労組合員約三〇〇名と共謀のうえ、同日午前三時三五分頃から、和歌山市新在家一七七番地の一所在の和歌山駅(現在紀和駅と改称されている)第一信号扱所前の出区線軌道内に立ち入つて多数で坐り込むとともに、和歌山機関区勤務の機関士崎山義行が同日午前三時三八分発車予定の東和歌山行六一五三列車を運転して同信号扱所前の出区線から定刻に発車しようとした際にも、その前方線路上にそのまま多数で坐り込みを続け、あるいは立ち塞がるなどして、同日午前四時五六分ごろまで右列車の進行を阻止し、

もつてそれぞれ多衆の威力を用いて日本国有鉄道の列車運行業務を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人松田につき、

刑法二三四条、二三三条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条(懲役刑選択)、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条((一)の(1)の罪の刑に併合罪の加重)

被告人間谷につき、

刑法二三四条、二三三条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条(懲役刑選択)

被告人両名につき、

刑法二五条一項一号、刑訴法一八一条一項本文、

なお被告人ら及び弁護人らは、被告人らの本件各所為は、労働争議におけるものであつて違法性を阻却すると主張するがその理由のないことは前記のとおりである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 細江秀雄 深谷真也 近藤和義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例